秋学期が始まりました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
10月に入ってもしばらくは対面授業がないので、大学に来る機会があまり ない皆さんに、礼拝堂に関するアレコレをご紹介していきたいと思います。
まずは礼拝堂の名前ともなっている「聖アグネス」についてです。京都キャンパスのある烏丸下立売角のレンガ造りの教会は「聖アグネス教会」、高槻キャンパスにある礼拝堂も「聖アグネス礼拝堂」。この「聖アグネス」って何?というか誰?と思った方も多いことでしょう。
アグネス(Agnes)紀元304年頃に殉教し、聖人とされた女性のことです。彼女の生涯は不明なことが多いのですが、ローマに生まれ、12歳または13歳のとき、ディオクレティアヌス帝の時代の迫害により命を落としました。4世紀半ばにはローマで彼女を崇敬[1] することが始まっています。
5世紀以後に作られた殉教記録によると、「アグネスはローマの名家の出身で、執政官の息子の求婚を拒絶したことから、キリスト者であることを密告されて裁判にかけられ、刑として裸体で娼家に送られたが、神の助けによって髪が伸びて全身を覆い、その純潔が守られた。処刑の1週間後、両親の前に姿を現した彼女の傍らには1頭の小羊が見られたという」[2] 。
「アグネス」という名前の意味はギリシャ語で「清い者」という意味ですが、ラテン語のアグヌス(agnus=小羊)に似ていることから羊と結びつけられたようです。
高槻キャンパスの聖アグネス礼拝堂には2つの聖アグネスのステンドグラスがあります。礼拝堂に入って左手の大きなステンドグラス「百合の聖アグネス」は腕に小羊を抱えています。また礼拝堂の右手、聖書などの置いてある棚の向かい側のステンドグラスは、神の助けによって髪が伸びて全身を覆ったときの様子が描かれています。 (チャプレン 中尾貢三子)
百合の聖アグネス(4世紀ローマの殉教者)
胸に小羊(agnus)をいだき、手には勝利の棕櫚をもち、純潔をあらわす白百合の中に立つ聖アグネスは、ローマの執政官の息子に求婚されたとき、自分はすでにキリストの花嫁であるからと拒絶したためキリスト者として迫害され殉教した。わずか13才の乙女であった。両脇の剣と火焔はその殉教をあらわしている。あしもとの文字は聖アグネスは純潔を失うより死を選んだ」とラテン語で記されている。平安女学院の守護聖人である。
殉教の聖アグネス
迫害で着衣をはがれたとき、神は彼女の髪をたちまちのばし、その裸身をおおって恥ずかしめなかったと伝えられる。緑の部分はそのときの髪をあらわしている。
[1] 崇敬(すうけい、英語: veneration)とは、一般的に「崇め敬うこと」を意味する。
キリスト教では、崇敬は正教会、カトリック教会、東方典礼カトリック教会などの教派によって実践されている。カトリック教会においては、本来の信仰対象である三位一体の神、すなわち「父なる神」と「御子イエス・キリスト」と「聖霊」に対する崇拝と区別して、人間である聖母マリアや聖人たちに使用する用語・概念である。(Wikipedia 「崇敬」の項。2021年9月30日閲覧)
[2] 『新カトリック大事典I』(1996年研究社)84-85頁「アグネス[ローマの]」の項より引用。