こんにちは、国際観光学部2年生の伊藤、上野、田中、矢藤、山田です。
私たちは学校周辺にある古いものを調査しました。そこで、「仁丹看板」、「道標」、「鍾馗(しょうき)さん」、「水戸藩邸跡」を見つけることができました。
仁丹看板とは
レトロ感あふれる「ヒゲのおじさん」の絵と共に、住所が表記された縦長の看板。仁丹と書かれているのは医薬品会社の「森下仁丹」が商品の宣伝を兼ねて1910年に街角で掲げたからだそうで、今も残っています。民家の外壁に飾られていて、現在では盗難が相次いだことにより、家の2階に飾られていることも多いそうです[1]。
鐘馗(しょうき)さんとは
中国の民間伝承として広まった、疫病よけなどにご利益のある道教系の神様といわれています。京都では民間信仰の一つとして、町家の小屋根などに鍾馗さんの焼き物が置かれるのが一般的です。向かいの屋根の鬼瓦などから弾かれた邪気を払ってくれる町家の小さな守り神とされています。
道標とは
道標(みちしるべ)は、不特定多数の人々が旅をするために建てられたものです。そのため、江戸時代以前は、そんなにたくさん作られていなかったようです。ふだん路傍で見かける道標も、多くは江戸時代後期か、明治時代以降のものです。建てた人や、作った石工の名前が判明するものもあります。
水戸藩邸跡とは
烏丸通下長者町西入北側は、江戸時代に水戸藩邸があった所です。水戸藩の初代藩主は徳光家康の子・頼房です。2代目藩主の徳川光圀は「大日本史」編集の事業をはじめた人です。水戸藩邸は江戸中期までにこの地に設けられ、幕末まで続いていきました。藩邸が廃止された時、藩邸の敷地は1,302坪(約4,300平方メートル)もあったそうです[2]。
感想
身近にこんなに古いものがあることに驚きました。普通にはないものばかりで、調査をして京都の歴史を感じることができました。みなさんも京都の町を歩く際には周りにあるレトロなものを探してみてください!意外な発見に繋がるかもしれません。
【参考資料】
[1]「京都名物レトロな「仁丹看板」が相次ぐ盗難被害」(まいどなニュース 2019/09/20)
https://maidonanews.jp/article/12721895(アクセス日2021/12/07)
[2]「此付近水戸藩邸跡」(京都観光Navi)
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=63(アクセス日2021/12/07)
【謝辞】
仁丹看板、鍾馗さん、道標について、毛利教授にお話を聞きました。ご協力ありがとうございました。